「ねぇ、健人」
普通に話しかけられ、健人は振り向く。どう返事をして良いのか分からず、声を出すことができなかった。歩はまだ服を濡らしたまま、着替えを持って立っている。ぽたぽたと服の裾から落ちている雫が水溜りになっていた。
「ご飯ある? 俺、腹減ってんだけど」
先ほどと変わらない声音に、健人は戸惑い、どう返事をして良いのか分からなかった。けれど、聞かれているのに無視をすることはできず、健人は口を開いた。
「……要らないんじゃなかったのかよ」
いつも通り話しかけてきてくれた歩にそんな無愛想なことを言ってしまい、健人は後悔した。こんなことを言いたかったのではない。作ればあるとか、そんなこと言いたかったのに、思いとは裏腹に出てきた言葉は冷たいものだった。これではまた、仲が険悪になってしまうと思い、健人は俯いた。
無愛想な声に、歩は少し笑った。
「ちょっとさ、意地張ってたんだよね。友達のとこ、泊まりに行く予定、無かったんだ」
「……え」
「それにこんなびしょぬれで友達のところにもいけない。だからさ、あるなら作ってよ。昼からなんも食べてないんだ」
困ったように笑う歩を見て、余計に居づらくなった。ひどいことを言った自覚はあり、またも険悪な状態になってしまうと懸念していたのに、歩はそれを物ともせず逆に申し訳なさそうな顔をした。そんな表情を見ていたら、どうして素直になれなかったんだろうかと、後悔ばかりしていた。
「……俺も、まだ食べてないから」
呟くように言うと、歩はにっこりと健人に微笑みかける。
「あ、そうなんだ。じゃぁ、ちょうど良いね。一緒に食べよう」
まさか、そんなことを言ってくるとは思わず、健人は唖然としたまま風呂場へと向かう歩の後姿を見送った。無理をしていることに気づかれ、同情でもしているのだろうか。歩が何を考えているのかさっぱり分からず、思考回路が停止してしまう。同情されても嬉しくないが、それに抗うことも出来ない。
健人は冷たくなった自分の腕を掴む。冷気にさらされ、濡れた服はどんどん体温を奪っていく。歩が何を考えているのか到底理解できないけれど、状況が改善されたのは見て取れる。このまま深追いして、また険悪にならないほうが良いだろうと思い、扉のドアノブに手をかけた。
「……待てよ」
先ほどまで考えていた思考に、健人は疑問を抱いた。状況が改善されて、喜んでいる自分が居る。前までは関わらないでほしいと切実に願い、近寄らないように冷たい態度を取っていた。それなのに、今はこれ以上、仲が悪くないように努めている。歩の本心が聞けたから、すっきりしたのだろうか。助けてくれたから、嫌いではなくなったのだろうか。それとも、別の感情を抱いてしまったのだろうか。考えれば考えるほど、ドツボにはまっていきそうな気がして健人は扉を開けた。一目散に階段を駆け上がり、自室へと飛び込む。ク��椹‘が効いていない部屋はムッとしていて、とても暑い。けれど、冷たい風に晒され、冷えた体にはとても心地よかった。
「考えるのはやめよう」
考えていてもキリがないと悟った健人は、これ以上、歩のことを考えるのはやめ、濡れた服を脱いだ。一人で悶々と考えていても、意味が無いことは分かっていた。もしかしたら、明日になれば、歩の態度は前と同じよう